2007年7 月 2日
最近、物忘れをすることが多い。何か忘れていることは認識するのだがそれが何なのか思い出せない時には、自分に対して惨めを感じることも少なくない。そんなとき、人は、これだけ忙しいのだから仕方ないでしょうと慰めてくれるのだが、どうも最近の物忘れは忙しいことばかりが原因でないように思えるから自分の中では合点が行かない。まあ、漢字的に言えば、「忙しい」も「こころが亡い」ということであり、「忘れる」も「心が亡い」ということだから、「忙しいときに何かを忘れること」は理屈であり、人の慰めの言葉 にはそれなりの同情と理解があるようではあるが…。
今週、2泊4日の強行軍で訪日しました。そのときに乗り合わせたタクシーに携帯電話を忘れるという事件を起こしてしまいました。大事件です。岩城裕一君の大本営は携帯電話ですから、自分の携帯電話が手元にないというのは本当に大事件です。
時は、6月24日、日曜日の夜の9時。ポケットの中に電話がないことに気づき 愕然となる。最後に利用したのは?それからの足取りは?思案、思案そしてまた思案。どうもタクシーの中に忘れた可能性が高いと想定。660円といえどもタクシーの領収書を貰っていたことは不幸中の幸い。よし、タクシー会社に連絡しよう。ところが、電話をかけようにも公衆電話が近くにない。これって、ちょっとしたパニック状態。とにかく電話のアクセスを確保するのが先決と思いオフィスに引き返すが、その途中、本当にタクシーの中に忘れたのかどうかさえ不安になる。
さて、領収書をたよりにタクシー会社に事情を説明。携帯電話に忘れ物はよくあるのでしょう。タクシー会社の人の対応は実になれたもの。
「運転手に連絡し探しますのでしばらくお待ちください。いずれにしましても当方から連絡を入れます。」
それから待つこと約20分。本当に長い20分。
「お客さん、見つかりました。お乗りいただいたタクシーは実車中でなかなか連絡が取れずにすみません。 車は、今、吉祥寺におりますが、どちらへお届けすればよろしいでしょうか。」
「とんでもございません。忘れたのは私ですので私がとりに伺います。」
「このままタクシーで走った方が速いですから場所を指定してください。」
「それでは、恐縮ですが西新橋までお届けいただけますか。もちろんメーターをつけてお越しになるようにご指示のほどお願いします。」
それから、さらに20分ほど。
「お忘れの携帯をお届けに参りました。」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます。それで、おいくらでしょうか。」
「とんでもございません。お客さまが降りられるときに、忘れ物を確認しなかった私の責任ですから、こんなことでお金をいただくわけには参りません。」
「それはないですよ。私が携帯を忘れたために、お客さんなしで、こんなにも遠くまで戻ってきていただくことになったのですから。」
「とんでもございません。」
「それはだめです。」
押し問答がしばらく続いたすえ、とうとう私が折れました。
「わかりました。では私を宿まで乗せていただけますか」
そして、降車のとき、
「ありがとうございました。ところで領収書いただけますか。」
660円の領収書が私の宝物になりました。
運転手さんありがとう。お言葉、「お客さまが降りられるときに、忘れ物を確認しなかった私の責任です。」まだジーンときています。
ほんとうにありがとうございました。
物忘れのおかげで、いい勉強をさせてもらいました。
2007年6月30日
岩城裕一