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被災後1週間

2011/03/21

震災後しばらくは絶望的になるような報道がほとんどだったように思います。実際には、まだ、被災地の方々の大変な状況は変わっていないのかもしれません、、、でもここ数日間は心温まるニュースが続き、情報の限られたここアメリカに居ながらも前向きな気持ちになっています。


避難途中に家族と離ればなれになってしまった小学生の男の子が、家族を探すためにあちこちの避難所を一人で歩き回っているという話を知りました。小さな子供一人でどんなに心細いか、、、と案じていましたが、その後、途中まで一緒に避難していた従弟と再会出来たと知りました。(ただ、まだご両親と再会出来ているのかはわかりません。)また、昨日は東京消防庁のハイパーレスキュー隊の方々が、健康危険を承知で福島原発施設への放水作業を遂行されたという話を聞き、我が身の危険を顧みない消防隊の方々の使命感、責任感に胸が熱くなりました。任務に就かれた方々の恐怖感や、任務へ送り出したご家族の方のご心配は如何ばかりだったでしょう、、、


この1週間の日本は3月にしてはあまりの厳寒だったと聞きました。 そんな厳しい状況下にも関わらず、また、震災後かなりの時間が経っているにも関わらず、奇跡的にがれきの下などから助け出された方々のニュースは私達を勇気付けてくれました。今日は何と、16歳の少年が80歳の祖母の方と一緒に救出されたという感動的な話をニュースで知りました!凄い!本当に良かったです!!お孫さんの少年がおばあちゃんと一緒にいたことでお互い支えられたのでしょう。


他にも、中学生や高校生たちが中心になって運営し被災者の方を助けている避難所の話や、被災地以外の日本中の市町村が被災者の方々を受け入れる用意をしている話など、困難で辛い状況だからこそお互い助け合う話に、心が明るくなります。


毎年世界のどこかで起きてきたハリケーンや地震・津波などの自然災害や内戦・紛争被害にはそれなりに心を痛めていたと思っていましたが、今回のこの気持ちは比較のしようがありません。メディシノバの仕事で日本に帰国する機会が増えた今の私には、「日本」を“母国”とか“祖国”と呼ぶのはとても大袈裟なのですが、「母国 日本」への思い入れは、やはり全然違いました。また、メディシノバの仕事が私にとって「日本」との繋がりを深くしてくれていたという事実に、改めて気付かされ、深く感謝しています。


実はサンディエゴのオフィスでの業務はいつもにも増して忙しかった1週間でもありました。安全な所に居る人には所詮本当の日本の大変さはわからないのだろう、、と叱責されるかもしれません。この私のブログが不快な気持ちにさせてしまうような事があるとしたら本当に申し訳ないのですが、離れたアメリカで私達が(募金以外に)出来る事は、粛々と、そしていつも以上にプロダクティビティの高い仕事をする事だと思っています。

松田 和子

東北地方太平洋沖地震

2011/03/15

3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

メディシノバは米国本社の企業ですが、その創薬技術は日本の製薬企業からのものでありますし、経営陣も半分は日本人で、株主の中心も日本の個人投資家の皆様です。

先週米国本社で行われた取締役会終了後の夜(米国時間)に大地震は起こりました。日本のテレビが映らなかったため、CNNを見ていましたが翌朝も含め、ずっと東北地方太平洋沖地震のニュースが流れていました。エレベーターで一緒になった見知らぬ米国人からも突然話しかけられ、私が日本人だと聞くと家族や友人を気遣う言葉をいただきました。また、津波がカリフォルニアにも到着し、改めて米国人も日本との関係を感じたと思います。

日曜日の早朝、帰国し、東京事務所に月曜日より出社しております。まず出来ることは何かないかと考え、事務所挙げての節電を行っております。蛍光灯は1/3、暖房なしでwarm bizです。

また、中国からの救援隊が被災地に入ると同じく、昨日は浙江医薬(ZMC)からも当社日本人従業員および日本を気遣うメールをいただきました。

引き続き、自分の出来ることを全力でやるしかないとあらためて思った次第です。

岡島正恒

東北関東大震災

2011/03/13

アメリカのテレビニュースでの報道ではきっと伝えきれないでいる壊滅的な被害が起きているのではないかと大変懸念しています。

取締役員が揃う3か月に一度のボードミーティングが行われた3月10日の夜(アメリカ西海岸時間)、直前の長い出張の疲れが急に出たのか強い睡魔に襲われ、いつもより早めにベッドに潜り込んだ私のiPhoneに頻回に届くText メッセージやe-mailで日本での地震の発生を知りました。アメリカのテレビニュースでも緊迫して伝えられる状況。地震の後にも心配される津波による被害を繰り返し報道しているテレビ。すぐに掛けても日本への電話は全く繋がらず、一体どういう状況なのかと凄く心配しました。翌朝、アメリカに出張していた岡島代表と話して初めて日本の状況が少し伝わってきました。私が想像していたよりもずっと状況は深刻でした。この日は日本の人々を気遣うメールやTextメッセージを世界中の仕事関係者から沢山頂きました。心配して下さった方達には深く感謝致します。

その後のテレビやインターネットニュースの報道で、原子力発電の建物が爆発したとか、津波での被害が当初の想定よりもずっと深刻であったという状況も伝わってきています。まるで作られた恐怖映画かのような、津波の引き起こした信じられない被害映像。何と言っていいのか言葉もありません。

このような悲惨な大惨事に見舞われているにも関わらず、被災者の方々が暴動を起こす事も無く、商店に押し入る事も無く、礼儀正しく長打の列に並んで飲料水や食料の供給を待っている様子に、世界中の多くの人が感動しています。「このような状況で、パニックになったり、わめき散らすこともなく、冷静にふるまう日本人は“徳”の高い人々。信じられない!」とさかんに報道されています。

まだまだ寒さも厳しく、避難生活を送っていらっしゃる方、家族や友人の安否を気遣いながら過ごしていらっしゃる方々はどんなにか不安で心細い状況かとお察しします。余震も続いている様子です。

皆様の安全と復興への希望をただただ祈るばかりです。

松田 和子

浙江医薬(ZMC)との合弁会社設立について

2011/03/08

皆さん、こんにちは。長い出張から久し振りにカリフォルニアに戻って来ました。

今回は2週間でアメリカ→日本→東欧→日本→中国→日本→アメリカと移動だったので実際よりも長く出張に出ていた感じがします。日本出発にすると飛行機代がずっと安いのでこういうスケジュールに。そこで戻るついでに日本でもいくつかの会議を終えてきました。

プレスリリース、岡島代表からのブログでもお知らせの通り、今回私達は中国のZMCと合弁企業設立に基本合意しました。

中国やインドなど昔は後進国とも思われていた国々が色々な分野で台頭してきている事は皆さんもよくご存じかと思います。早速そこに目を付けて動き出した岩城社長の命を受け、私が初めて中国の浙江省の会社を訪れたのが昨年の9月。当初はMN-029 に興味があるいくつかの会社を訪問して説明するという事で、急遽MN-029の競合開発薬やマーケットなどについて色々とリサーチしました。

最初の訪問で訪れたのがZMC傘下の浙江省新昌製薬。一緒に行くはずだった岡島代表が急な会議で当日突然の渡航出来なくなり、心細く一人で中国に向うことに。通訳、コーディネーターの方含め当方は合計たった3人。対してZMC側はトップの理事長も含め全部で十数名。プレゼンテーションの時間はたっぷり午後に4時間も取って下さったのは大変有難かったのですが、英語‐日本語‐中国で通訳しながら説明しても一人MN-029の話題だけでは4時間も持ちません。「どうしよう!、、」と焦って、突如、MN-221の話を付け加えて話す事にしました。最初は単に、MN-221の治験の話などをする事でメディシノバをよく理解して頂けるだろうと思ったのと、MN-221の話だったら切迫早産から喘息急性発作に開発適応を変えた経緯、007治験の苦労話などいくらでも話す事はあり“間”を持たせる事も出来るだろう、、と思ったからです。

ところが、ZMCメンバーの一人が酷い喘息持ちだという事で理事長が「お前に必要な薬だ!」などと盛り上がり、また当時私自身が咳喘息の症状が出ている状態でゼーゼー咳き込みながらプレゼンをしたので、「自分の体を張ってMN-221の必要性を説明するドクター!」など褒められ(?)最後はMN-221に一番興味を持って頂く結果になりました。中国の大都市は光化学スモッグや黄砂のためか空気汚染が酷いのです。喘息患者さんにはかなりつらい環境です。また成人喫煙率が非常に高く、COPDも大きな医療問題です。間違いなく喘息・COPDの患者は日本、アメリカ以上に多く、このような薬の必要性はずっと大きいと断言出来ます。

数週間後には今度は岡島代表と2人で中国に向いました。

ZMCメンバーも浙江省から北京まで出向いて下さり2回目の会合。そこからは、私達が他の中国の会社を訪問するのもままならない程のびっくりするぐらいのスピードで話が進んで行きました。どういう形で協力開発するのがお互いに一番良いか?を中国FDA事情や中国医薬品市場の背景をリサーチしながら岡島代表が中心になって交渉を進めて来ました。

岡島代表と私のスケジュールをなんとか調整して、会合や調査に中国に飛んではトンボ返りということを昨年は何度か繰り返していましたが、やっと皆さんにお話しでき、ホッとしています。多分、ZMCの皆さんも同じような考えなのでしょう。この薬のニーズの大きさを感じるからこそ、とても積極的にスピーディに動いて下さったのだと思います。調印式の後の懇親会ディナーでの出来事なのですが、ふとあちらの幹部の方が口を滑らせて、「実は、SFDAで働いていたツテを頼ってMN-221についてはアメリカのFDAに問い合わせてみた。結果私達は、大変この薬に確信を持っている、、」と。彼らの研究熱心さとリサーチ力には舌を巻いてしまいます。こちらがお渡しした全ての資料をとても詳しく読み込んでいただけでなく、アメリカのFDAにも問い合わせていたなんて!

スタート地点に立ったばかり。まずはMN-221をしっかりと、そしてMN-221だけでなく他のプロジェクトも益々充実させていく思いでこれからも頑張ります。

 

松田 和子

浙江医薬との中国合弁会社設立調印式から帰国して

2011/03/06

ご無沙汰しております。

本当に長い間ブログをお休みしておりました。

昨晩、中国杭州での調印式より帰国したところです。

やっと中国の最大手製薬会社の1社である浙江医薬股份有限公司Zhejiang MedicineCo., Ltd. (以後ZMCと書きます。)と合弁会社設立の基本合意を取り交わした事を発表出来るようになりました。

このような話をまとめていくにあたり、途中経過等を説明会、ブログで語る訳にもいかず、非常に歯がゆい思いもしていました。

最近、中国に行かれたことのある方はその発展ぶりに驚かれたと思います。

私も昨年、3年ぶりに中国本土に出張し、その変化に驚きました。それもそのはずこの間、中国はオリンピック、万博を経験し、あらゆるものが整備されてきたのです。

また、その潜在的な医薬品市場は巨大なもので、国民全体の所得水準が底上げされるなか急速に西洋医薬品(中国で一般的に医薬品というと漢方薬を指すので区別するため、あえてこのように呼びます)の売上高が拡大してきています。ここ数年は売上高が前年比2040%伸びている製薬会社は当たり前で珍しいことではありません。実際に日本の上場している全製薬会社の時価総額合計と中国の上場している全製薬会社の時価総額合計がほぼ同じレベルになっております。それもそのはず片や2010年問題で売上を伸ばすどころか維持することができるか否かという状況の企業の株式価値と売上が年率数十%成長の企業の株式価値と売上規模の違いは大きいものの、将来価値を織り込む株式市場の評価は納得できるものです。

今までの中国での新薬開発は欧米、日本で既に上市している薬を中国に導入してくること、または漢方薬の新薬が中心でしたが、ここ数年で世界に先駆けた新薬(一類新薬)を自国で開発していこうと大きく方向転換したのです。

また、ZMCは「中華人民共和国科学技術省より新薬開発に関わる6大ビジネスインキュベーターのひとつと同社が指定された」とプレスリリースに記載しており、この意味は中国政府より一類新薬にチャレンジするように指定された開発力のある6社の製薬会社の内の1社ということです。一類新薬にチャレンジすることにより「国家新薬研究基金」からの資金提供を受けられる可能性があることを意味しているのです。

このような環境下でZMCの一類新薬にチャレンジしようとするニーズと当社の潜在的な巨大市場である中国市場の開拓ニーズが一致し、合弁会社設立を決めたものです。

ZMCは従業員数約4千人の内、専門技術を有する従業員が約40%(1600)という、高い開発力を有する製薬会社です。彼らがMN-221で一類新薬にチャレンジしようと決めたことは大変光栄なことと考えております。

近々、一緒に本件を進めてきたDr.松田よりブログでの報告があるかと思います。

皆様、引き続きサポートの程宜しくお願い致します。

2011-03-03 17.46.29 
 (プロのカメラマンが撮影していたのですが、まだ入手出来ておりませんので、私の携帯で撮影した画像をとりあえず貼り付けます。)

岡島 正恒